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お化け屋敷の歴史/ホームメイト

お化け屋敷は、日本の娯楽文化において長い歴史を持つ人気アトラクションです。恐怖体験を提供するだけにとどまらず、技術の進歩を取り入れながら、時代とともに進化を続けてきました。「お化け屋敷の歴史」では、江戸時代にまで遡るお化け屋敷の起源から、現代の最新技術を駆使した施設まで、変遷と進化を詳しく紹介します。

江戸時代には、現在のお化け屋敷の原型があった

お化け屋敷の歴史

お化け屋敷の歴史は江戸時代にまで遡り、1830年(文政13年)、現在の東京都大田区大森に住んでいた医者「瓢仙」(ひょうせん)が自宅の庭に作った「大森の化け物茶屋」がお化け屋敷の起源とされています。

当時は飢饉や社会不安が蔓延しており、人々は非日常的な体験を求めていました。大森の化け物茶屋の壁には「百鬼夜行」(ひゃっきやぎょう:深夜に徘徊する妖怪達の行進)の様子が色鮮やかに描かれ、1つ目小僧などの妖怪の人形が飾られ、評判を呼びます。江戸に住む多くの人々が訪れましたが、悪趣味だという批判が上がり、わずか3ヵ月で公開終了となりました。

1839年(天保10年)には、「両国回向院」(りょうごくえこういん:現在の東京都墨田区)で行われた「井の頭弁財天」(いのかしらべんざいてん)の開帳に合わせて、「変死人形競」(へんしにんぎょうくらべ)と呼ばれる展示を開催。江戸時代の人形師「泉目吉」(いずみめきち)による精巧な人形細工で、斬首刑のさらし首や女性の生首、棺桶から飛び出した亡霊の首などがリアルに再現されていました。この展示こそが、現代のお化け屋敷の原型と言われています。

明治時代、大正時代のお化け屋敷

明治時代に入り、西洋の影響を受けた新しい娯楽が次々と日本に導入される中、お化け屋敷も進化を遂げていきます。1853年(嘉永6年)に開園した「浅草花やしき」(東京都台東区)では、早くも「幽霊堂」という名のお化け屋敷が登場し、人気を集めていました。

大正時代になると、日本全国でお化け屋敷の特設が流行します。おどろおどろしい人形を設置し、光や匂いなどを駆使して、見る人の感覚を刺激するような演出を施すなど、それぞれに趣向を凝らしたお化け屋敷が数多く登場。これらが人気を集め、夏の納涼のためだけでなく、1年中行われるようになった他、装飾業者が施設を手がけるようになっていきました。

こうしてお化け屋敷は、次第にひとつの文化として世間に認められるようになり、百貨店の催しとしても開催され始めます。

昭和時代、平成時代のお化け屋敷

「第二次世界大戦」後、日本の経済成長とともにレジャー産業が発展し、お化け屋敷は遊園地やテーマパークの定番アトラクションとして定着していきます。1955年(昭和30年)に開園した「宝塚ファミリーランド」(兵庫県宝塚市にあった遊園地)には、日本で初めて常設のお化け屋敷が設置されました。

1960~1970年代にかけては、多くの遊園地でお化け屋敷が作られ、その内容も多様化。怖い人形を並べるだけでなく、来場者が積極的に参加できる仕掛けを取り入れるなど、様々な工夫が凝らされるようになります。

1994年(平成6年)には、浅草花やしきの「ゴーストの館」が3D音響システムを導入し、視覚だけでなく聴覚からも恐怖を感じられる新しいタイプのお化け屋敷として注目を集めました。

最新技術を導入したお化け屋敷

21世紀になると、お化け屋敷はさらなる進化を遂げます。

最新のお化け屋敷は、VR(仮想現実)技術やAI(人工知能)を活用した演出が見られるようになりました。2020年(令和2年)以降は、新型コロナウイルス感染症の影響で「非接触型」のお化け屋敷のような新しい形態も誕生。さらに、怖いお化けが並んでいるのをただ見て回る従来のスタイルに物語性が加わり、お化けや妖怪などもよりリアルになっています。五感に訴えかけるような演出が増えたことで臨場感が高まり、視覚以外からも恐怖を感じる施設になっているのです。

2009年(平成21年)、「富士急ハイランド」(山梨県富士吉田市)にオープンした「戦慄迷宮」(せんりつめいきゅう)は、富士の裾野に佇む廃病院が舞台。来場者は約1時間かけて900mのコースを進みます。細部まで練られた物語と徹底したリアルな世界観に音響効果なども加わり「日本一怖いお化け屋敷」として知られるようになりました。

さらに、お化け屋敷は日本文化の一部として海外でも注目されるようになり、ハリウッド映画の題材になるなど、国際的な評価も高まっています。

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